2024年10月1日
日本でも人気のある建築、アート、家具などのデザイン様式の1つに「アールヌーヴォー」があります。アールヌーヴォーには、どのような意味や歴史があるのでしょうか?本記事では、とくにアール・ヌーヴォー建築について、そのデザイン的特徴やアールデコとの違い、代表的な建物の事例などを紹介していきます。
アールヌーヴォー 建築とは、19世紀末~20世紀初頭にヨーロッパで流行したデザイン様式を用いた建築のことです。花やツタなどの自然をモチーフに、曲線的なデザインが施された建物を見たことがある人も多いでしょう。アールヌーヴォー建築は、ベルギーとフランスから始まり、ヨーロッパ各地へと広がっていきました。日本には、西洋の近代文化を積極的に受け入れていた明治時代 に入ってきたのです。ここでは、アールヌーヴォーの意味や歴史、衰退した理由について見ていきましょう。
アールヌーヴォー とは、フランス語で「新しい芸術(Art nouveau)」の意味です。19世紀末から20世紀初頭にかけて、ヨーロッパを中心に流行した国際的な芸術運動がアルーヌーヴォー と呼ばれています。1900年のパリ万国 博覧会に、アルーヌーヴォー はその全盛期を迎えました。
新しい芸術というとおり、アールヌーヴォーは過去の伝統的な芸術様式とはまったく異なる新しいムーブメントだったのです。興味深いのは、アールヌーヴォーの装飾的な表現は、浮世絵をはじめとする日本美術から影響を受けていた点でしょう。もともと「アールヌーヴォー」は、当時、日本美術商であったサミュエル・ビング がパリに開いた店の名前でした。
アールヌーヴォーは、狭義には「ベル・エポック (よき時代)」と呼ばれる、1890年頃から1914年の第一次世界大戦勃発までのフランス装飾美術を指します。1890年代、フランス共和国政府は高級な手工芸・装飾芸術に関心を持ち、洗練された優美さを世界に向けて打ち出すことで優位性を確立しようとしました。これがアールヌーヴォーの興隆につながったとされています。
また広義には、19世紀後半に英国で起きたアーツ・アンド・クラフツ運動以降に、ヨーロッパ全土で活発化した造形芸術運動 のことを指します。
アールヌーヴォーは、アーツ・アンド・クラフツ運動 ならびに日本美術の影響を受けて始まったムーブメントだと言われています。
ヴィクトリア朝の英国に興ったアーツ・アンド・クラフツ運動は、産業革命期の工業製品に批判的なウィリアム・モリスが主導した造形芸術運動です。産業革命以降、市場には安価で粗悪な大量生産品が出回っていることを憂い、職人の手仕事が尊重された中世に理想を求め、モリスは「生活と芸術を一体化」することを目指しました。アーツ・アンド・クラフツ運動は、賛同者を増やしながらヨーロッパ各地へと広がり、アールヌーヴォーが興る契機になったと言われています。
また明治時代の万国博覧会出展を機に 、日本の美術文化がヨーロッパに紹介されたことでジャポニズムと呼ばれる日本ブームが巻き起こりました。ジャポニズムの影響を受けながらフランスのデザイン様式は独自の発展を見せ、アールヌーヴォーという様式へと結実しました。
19世紀末から20世紀初頭にかけて、富裕層の邸宅から地下鉄の駅といった公共施設まで、優美で美しいアールヌーヴォー建物があちこちで建てられました。職人の高いセンスや技術力から生み出された装飾性は、当時の富裕層を魅了し、生活品をアールヌーヴォー様式で揃えることがステイタスになりました。
第一次世界大戦 が勃発したことで価値観が大きく変化したために 、装飾過剰で高価なアールヌーヴォーは衰退していきました。装飾性や芸術といったアールヌーヴォーのコンセプトは、退廃芸術とみなされ、より合理的で実用的な「アールデコ」様式へと人々の志向が変化したのです。これにより価値を失ったかに見えましたが、1960年代の米国においてアールヌーヴォー建築は再評価され、息を吹き返しています。
アールヌーヴォー建築には、高度な技術をもつ職人の手仕事による高い芸術性が見られるほか、新素材を取り入れるなど革新的な試みも行われました。ベルギーの首都ブリュッセルは、アールヌーヴォー建築発祥の地として知られており、市内だけで150軒以上 の家の外観を見学できます。
ここでは、アールヌーヴォー建築のデザイン的な特徴について見ていきましょう。
アールヌーヴォーは「曲線の美」と称されるほど、自由で優美な印象を与える曲線が多用されました。アールヌーヴォー建築には、曲線的な形状・構造や、浮世絵に見られるアシンメトリーのレイアウトが用いられています。伝統的なデザイン様式とは一線を画していたために 、ジャポニズム、アラビア様式、ケルト文様なども取り入れられました。
中でも曲線で有名なアールヌーヴォー建築といえば、スペインの芸術家、アントニオ・ガウディ(1852-1926)が手掛けた建造物です。通常のアール・ヌーヴォー装飾よりはるかに過剰な様式 という指摘もあるサグラダ・ファミリアは、伝統的な教会建築とは異なり、直線、直角、水平がほとんどありません。
アールヌーヴォー建築では、花・植物・昆虫など、自然界にある有機物をモチーフを 用いて装飾が施されています。ゆるやかな曲線と、自然界にある有機物のモチーフを組み合わせた装飾的なデザインこそがアールヌーヴォー様式の大きな特徴です。
当時新しい素材であった鉄が、線材としてよく利用されていたことも、アールヌーヴォー建築の特徴です。鉄は加工しやすいことから、自由度の高い素材として注目されました。鉄を加工することで、軽やかで繊細な表現が可能になったことから、柱や梁、階段の手すりやドアなどに使用されたのです。
アールヌーヴォーとアールデコは、どちらもデザイン様式を表します。アールヌーヴォーは「新しい芸術」であるのに対して、アールデコは「装飾芸術」の意味であり、1910年代から1930年代にかけて流行したムーブメントです。
アールデコという名称は、第一次世界大戦によって延期され、1925年に開催されたパリ万博「現代装飾美術・産業美術国際博覧会」(Exposition Internationale des Arts Décoratifs et Industriels Modernes)の略称「Arts Décoratifs」に由来します。
シンプルさと合理性を追求したアールデコは、パリではあまり流行しませんでした。しかし第一次世界大戦の戦勝国である米国に渡って、大々的に花開いたのです。ここでは、アールデコとアールヌーヴォーの違いについて見ていきましょう。
アールヌーヴォーは曲線的かつアシンメトリーであるのに対して、アールデコは直線的かつ左右対称なデザインを基本としているのが特徴です。アールヌーヴォーは職人の技術に根ざした芸術性の高いものでしたが、アールデコは機能的、実用的を重視している点にも違いが見られます。
アールデコは、直線を基本にシンプルな正円や幾何学的な模様を、ときには繰り返し用いるなどしており、アールヌーヴォーのように有機物は描かれていません。アールデコにも様々なスタイルがありますが、エジプト古代文化の象徴的なモチーフや、自動車や船のフォルム、歯車などの機械的なモチーフに着想を得た幾何学図形も使われていました。
色彩に関しても、アールヌーヴォーとは異なり、モノトーンや原色のコントラストが好まれました。光を反射する白、金、銀、黒、赤を中心にしたカラーリングが多く、メタリック&モノトーンの組み合わせなどがアールデコの特徴です。
ここでは、日本におけるアールヌーヴォー建築についてご紹介します。
北九州市にある「旧大阪商船」は、国の登録有形文化財に指定されており、1917年に竣工した海運会社・大阪商船の門司支店を修復したものです。オレンジ色の外壁が美しい旧大阪商船は、門司港レトロのシンボル的な存在で、八角形の塔屋、窓ガラスのデザインも見応えがあります。
大阪市中之島にある「大阪市中央公会堂」は、国の重要文化財に指定されており、北浜で株式仲買商を営んでいた岩本栄之助の寄附をもとに、1918年に竣工した建物です。手すりにアールヌーヴォーの曲線デザインが施された螺旋階段は圧巻で、職人の技術の高さが伺えます。
「東京駅丸の内駅舎」は、国の重要文化財に指定されており、当時の日本建築界を牽引した辰野金吾の集大成として1914年に竣工した建造物です。関東大震災に耐えるほど堅牢でしたが、戦災により1945年、南北ドームを含む3階部分を焼失しました。2012年に3階・屋根部分の復元工事を終えたことから、8つの干支、鷲や剣などのレリーフが復元された壮麗な南北ドームを見ることができます。
本記事では、アールヌーヴォー建築のデザイン的な特徴とアールデコとの違い、日本における代表的な建物をご紹介しました。アールヌーヴォーは、芸術家や職人の感性や技術を重用したほか、芸術性・独自性を高めるために斬新な素材を取り入れるなど、新しい試みが行われたムーブメントでした。
アールヌーヴォー建築に見られる曲線の美は、熟練した職人の技術があってこそ成立したものです。今なお数多く残る明治時代の歴史的な建造物に、アールヌーヴォー建築の特徴を探してみてはいかがでしょう。